地名シリーズ
大手筋通り














昭和の初め頃までは、伏見のメイン・ストリートと言えば、油掛通りのことで、大手筋通りはお寺の塀が続く淋し〜い通りでした。

では、どうして今のように立場が逆転したかというと、

ベンベン…

明治天皇が崩御されると、伏見城跡に天皇陵が造られるようになりなした。
二ヶ月にわたって昼夜の別なく三千人が工事にあたりました。
また、百日祭までの間の参拝人は一日に多いときで四十万人にもなり、参拝人めあての食堂、宿屋ができ大繁盛しました。
このとき、駅から御陵までの間の出店は禁じられたため、大手筋通りに土産物の店等が並び人々はどっと大手筋へ、

追い打ちをかけるように、

明治四十三年に京阪電鉄の伏見桃山駅が、昭和三年に奈良電鉄(近鉄)の桃山御陵前駅が、大手筋に設けられ、昭和四年には市電が中書島まで延長となり、下油掛駅がなくなりました。

これで完全に人の流れが変わりました。

現在は、ソーラー・システムの空調設備のついたアーケードになり、時間制の自動車通行禁止など快適に買い物など出来るようになり京都一番の商店街となりました。

…ジャン。


















アーケード内には、いくつかのカラクリ時計があります。
下の写真は、銀座一丁目との角にあるものです。

一度あなたも、のんびりと眺めてみたら…
















昔、私が幼少の頃は、大手筋近辺に映画館が四つもありました。
日活、大映、東映、松竹だったかな?

当時は向島に住んでおり、家族で大手筋に出てきた時に、まず映画(大奥狸御殿・里見八犬伝など)を見てから、力餅食堂で「おはぎ」「きつねうどん」「玉子丼」を平らげるのが(子どもがなんぼほど食うねん)最高の贅沢でした。



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