墨染インクライン

現在(いま)・過去(むかし)












 伏見にもインクライン(傾斜鉄道)があったと言うことをご存知の方は少ないでしょう。

 今回、うしさんがご案内いたします。

 (なお、上の図で赤色で表してるのは過去のものです)


 秀吉が伏見城の外堀として造った濠川と、疎水の水運に役立たせる為、インクラインで両方の川をつなぎました。

 完成した当時(明治27年)には、1日に100隻もの船を上げ下げしたそうです。
しかし、戦後使用されなくなり、昭和34年にはレールも取り去られました。

 昭和52年頃から、24号線のすぐ横(黄色の☆印の)に船を運んだ台車が展示されていましたが、数年前に撤去されました。



 一方、疎水と濠川の落差を利用して電気を得るために墨染発電所を造ったのであります。
 その電気を、当時日本で初めての「チンチン電車」として伏見と京都間を走った電車に供給しました。
 現代でもここで造られた電気は、深草変電所に送られ、全国に配給されております。

 また、24号線を越えたところに「津田電線」という会社があって、疎水の水力を利用して電線の加工をしてました。
その排水を流した川が津知橋通りをまたいで濠川まで続いてました。(赤い点線の通りです)今では暗渠になり黄色の線が舗装路になってます。


 現代の24号線は、1960年代に造られたもので、それ以前は京町通りが、24号線でした。
 狭い道を市バスが行き交うので、よく民家の軒先を擦ったそうです。







当時は船溜まりとして使われてた処。

今は発電用の水を貯めておくダムになってます。

左の方にゲートが見えます。



活躍当時の写真です。

船をすぐ後ろにある台車に乗せて、
奥に見えるレールから向こうに下っていきます。








左上の方に、前々の写真に見られたゲートが見えます。

そこから京町通りを越えて、二対の軌道がひかれてました。

それが、インクラインです。

今、直ぐ横を国道24号線が通ってます。

数年前まで船を載せて運ぶ台車が
上の(合成写真)のように展示されてました。














昔の写真を2つ、どうぞ。



この橋は、インクラインの上を横切る両替町に架かる「橦木橋」です。

お洒落な橋ですね。

中書島へ渡る「蓬莱橋」みたいなものですか?








インクラインの上から見下ろします。

手前が京町通りに架かる橋。
向こうが橦木橋。













濠川をあけぼの橋から見ます。

電気をおこす仕事をした水が
暗渠を通って24号線を渡りこの橋(?)の下から出てます。
これから南へ伏見の町中を行きます。
横切ってるのは、近鉄の高架。

















オワカリですね!








忠臣蔵でお馴染みの大石内蔵助が
敵の目をあざむくために遊んだ
「よろず屋」や「笹屋」の跡に建てられた記念碑。














最後に、桜並木をご覧下さい。



秋です。












冬です。












春です。










 私がご幼少の頃(45年ぐらい前)、親に連れられて、まだ坂道にレールがひいたまま残っているインクラインを見たのを憶えてます。
 その時インクライン下の船溜まりがあったというのは憶えてませんが、近くの人の話では、いくつか四つ手(魚取りの網)がしかけてあったということなので、新しい24号線が出来るまでは、残っていたのかも?


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